【完結】僕たちがやりましたの最終回って結局どうなったの?【ラスト結末】
- 06/11/2017 20:40
『僕たちがやりました』の作者は金城宗幸(原作)、荒木光(漫画)。出版社は講談社。確か2015年から連載が開始して2017年になるかならないかぐらいで完結しました。こういう時にこそどうでもいいWikipediaが役に立つべきなんですが、誰も更新してなかったので分からずじまい。
この『僕たちがやりました』が2017年7月にさっそくフジテレビ系列で実写ドラマ化されることが決定したらしい。詳しくは『僕たちがやりました』登場人物キャスト一覧を参照してください。実写ドラマと漫画版のキャラを対比させてます。
そこで今更ですが『僕たちがやりました』の最終回(最終話)についてネタバレしたいと思います。実写ドラマ版だとどういう結末になるかは分かりませんが、改めて漫画版の結末をおさらいしておきたいと思います。ネタバレが嫌な方はスルー推奨。
『僕たちがやりました』の簡単な展開をおさらいしておくと、主人公の男子高校生・トビオは矢波高校と呼ばれる不良高校に復讐を誓う。何故なら友達のマルがフルボッコされたから。もちろん復讐とは言っても、単に驚かせるだけ。決して傷つけるつもりは一切なかった。
ただ不運が重なり、矢波高校内で大爆発を起こしてしまう。結果、10名の矢波高の生徒たちが死んでしまう。この致命的な引き金を引いたのが、パイセンと呼ばれる20歳のニート。そして結果的に警察に逮捕されてしまう。
(僕たちがやりました3巻)
しかし、真犯人と名乗る男が途中で警察に自首しにやってくる。結果、パイセンは誤認逮捕の被害者ということで晴れて釈放。
だからパイセンは無実の人間だったのかというと、NO。実はパイセンの父親が超お金持ちだったため、あらゆる権力を使って画像の無関係な男を犯人に仕立て上げた。真犯人が現れれば警察もパイセンを釈放せざるを得ない。
安倍総理がお友達のレ○イプ犯の犯罪をもみ消したのと同じ。当然ジャーナリストが安倍晋三に忠誠を誓うように、パイセンは父親に愛を感じるものの何故かパイセンは一度も父親に会ったことがなかった。
結論からネタバレしてしまうなら、パイセンの父親・輪島は裏社会のボス。パイセンは13番目あたりの亡き愛人の子供。輪島はその愛人を心底愛したから、その愛人が愛したパイセンにお金を送り続けてただけ。
逆に言えば、父親である輪島はパイセンに対して一切愛情を持っていなかった。何故ならブスだから。パイセンの本名・秀郎も「ひでえやろう」から来てる。おそらく愛人は一切知らなかったと推察されます。
だからパイセンを警察から釈放させたのも、自分の血のつながりがある人間が凶悪犯罪を犯したとなれば、自分の名声や今後の権力にヒビが入る。あくまで自分の地位を守るための「真犯人でっち上げ」に過ぎなかった。
最初は釈放されたことを喜んでいたパイセンだったんですが、そこで父親・輪島に対する復讐も含めて自首を誓う。これに良心の呵責にさいなまれていた主人公・トビオや伊佐美たちも同調。そして渋谷のスクランブル交差点に向かい、大量のお金と自分たちが犯人であるという紙をばらまく。
(僕たちがやりました8巻)
最終的に代々木公園野外音楽堂で盛大に自首を告白。これは動画配信サイトも使った大規模なもの。まさに『僕たちがやりました』に相応しい完結シーン…かと思いきや、NO。前述の輪島の部下たちがずっと監視してた。結果パイセンが輪島の一味に拉致されて、さすがに消されそうになる。
ただ何やかんやがあって、パイセンが輪島の息子・玲夢をあやめる。「俺のどこがゴミやねん?金持ってる奴が偉いんかぁ?同じ人間ちゃうんか?俺らはただ楽しく生きたかっただけじゃああ!!」とのこと。
ここまでやればさすがに全てが明るみになる…はずだった。でも輪島が全資産のほとんどを使って、事件を矮小化することに成功。パイセンとの血縁関係も抹消し、トビオや伊佐美たちも善意の被害者として扱われ罪に問われることはなかった。あくまで「僕たちは手伝わされた」だけ。
つまり「僕たちがやりました」ならぬ「僕たちはやりませんでした」というオチ。トビオたちが懸命に起こそうとした革命は小さな波紋が起きただけですぐ消えた。安倍総理ならきっと「全ての犯罪はなかった」ことにできたに違いない。
そして物語は10年後。トビオたちは普通に社会人となり、何事もない平穏な日常を送っていた。トビオはアイドルのマネージャーとして働き、伊佐美は建設現場で働く子煩悩パパ。
(僕たちがやりました9巻)
マルは相変わらずクズ。ミトコンドリア水なるマルチ商法まがいのことでボロ儲け。しかも軍資金がパイセンが残した2000万円をしれっと盗み取ってた。
(僕たちがやりました9巻)
この3人が再びパイセンと同窓会するものの、さすがに痩せすぎ。ホリエモンを彷彿とさせます。これだけ風貌が変わったにも関わらず、パイセンとしっかり認識できる作者・荒木光の画力が地味に高いか。
(僕たちがやりました9巻)
一方、トビオの彼女だった蓮子は別の男(パパイヤ鈴木風)と結婚して、既に妊娠中。ただ久しぶりに再会した蓮子は「良かった生きてて。頑張ったね」と優しく微笑みかけてくれるなど、何も変わってない。
トビオはトビオで夏という奥さんがいて、やはりコチラもご懐妊中。まさに幸せ真っ只中。ただそれでも良心の呵責が10年経っても消えることはない。「自分は生きてる資格がない。幸せになってはいけない」という思いが消えることがないから、蓮子も振った。
最終回のオチもパイセンに「生きてんねんからしゃーないやろ」という一言で励まされて、高校生の頃に望んだ「そこそこの人生に満足しよう」と思い込もうとしてても、赤ちゃんが生まれた直後に矢波高校の被害者と遭遇してしまい一気にフラッシュバック。
(僕たちがやりました9巻)
既に死んだはずの市橋の亡霊が突然見えてしまう。果たしてトビオはこれから本当に「そこそこ幸せな人生」を歩むことはできるのか…とややもすると曖昧なまま『僕たちがやりました』のストーリーが完結します。つまりトビオが罰せられることは最後の最後までありませんでした。
だから「オチがよく分からない」という意見もありますが、最終的にトビオに明確な天罰が下らなくてよかった。何故なら、「逮捕されない=許されてる」ということではないから。トビオは罰を受けなかったからこそ10年以上もずっと苦しみ続けてる。
要するに、作者は罪を犯した人間が罰を受けないとこう苦しむという戒めをオチで伝えたかったのかなぁと思います。パイセンも比較的短期間ではあったものの刑に服したからこそ、過去と決別して前に進むことができた。いわば禊(みそぎ)。
トビオは常に現実から逃げ続けては来たけれども、要所要所で良心の呵責から罰を受けようとしてた。屋上から飛び降りてみたり、蓮子を振ってみたり、勇気を振り絞って警察に自首までし、最終的には通り魔の少年に自らの命を差し出そうとしたりもした。伊佐美も言ってますが、出所したパイセンに会ったのも「あくまで許されたい」という利己的な理由にすぎなかった。
でも結果的にトビオに罰が下ることはなく、最後の最後までトビオは法的にも「許される機会」が与えられなかった。10年ぶりに会った蓮子も最後までトビオを責めることはなく、パイセンが出所したことで矢波高事件でトビオが罰を受けることは今後二度とあり得ない。
だから最終回に関する個人的な感想としては、トビオの未来は「絶望」しか暗示してない気がします。法的な罪に限定したことではないかも知れませんが、もし悪いことをした人間は当人のためにも罰を与えてあげるべき。罰が下ることで初めて罪が許される以上、恐怖でも逮捕されることが「そこそこ幸せな人生」を歩むためには必要というメッセージ。
もしかすると更生が主眼に置かれてる少年法に対する皮肉も込められていそう。最近でこそほぼ大人と同様に裁かれるようになったものの、どういうカタチであれ罰せられるという禊を経験しないと自分自身の良心の呵責とも向き合えないのではないかと作者は伝えたかったのかも知れない。
とはいえ、大人でも罰から逃れまくってるクズが多い。是非ヤクザや右翼とつるんでも知らん顔でのうのうと生きてる安倍昭恵や、安倍晋三に罪をもみ消してもらった凶悪ジャーナリストの山口敬之あたりは『僕たちがやりました』を熟読してみてはいかがでしょうか?
やや長文記事になりすぎましたが、『僕たちがやりました』が面白いかのおすすめ考察記事もアップロード済みなので、お暇な時にでもどうぞ。以上、『僕たちがやりました』の最終回(最終話)に関する完結記事でした。
この『僕たちがやりました』が2017年7月にさっそくフジテレビ系列で実写ドラマ化されることが決定したらしい。詳しくは『僕たちがやりました』登場人物キャスト一覧を参照してください。実写ドラマと漫画版のキャラを対比させてます。
そこで今更ですが『僕たちがやりました』の最終回(最終話)についてネタバレしたいと思います。実写ドラマ版だとどういう結末になるかは分かりませんが、改めて漫画版の結末をおさらいしておきたいと思います。ネタバレが嫌な方はスルー推奨。
真犯人登場?
『僕たちがやりました』の簡単な展開をおさらいしておくと、主人公の男子高校生・トビオは矢波高校と呼ばれる不良高校に復讐を誓う。何故なら友達のマルがフルボッコされたから。もちろん復讐とは言っても、単に驚かせるだけ。決して傷つけるつもりは一切なかった。
ただ不運が重なり、矢波高校内で大爆発を起こしてしまう。結果、10名の矢波高の生徒たちが死んでしまう。この致命的な引き金を引いたのが、パイセンと呼ばれる20歳のニート。そして結果的に警察に逮捕されてしまう。

(僕たちがやりました3巻)
しかし、真犯人と名乗る男が途中で警察に自首しにやってくる。結果、パイセンは誤認逮捕の被害者ということで晴れて釈放。
だからパイセンは無実の人間だったのかというと、NO。実はパイセンの父親が超お金持ちだったため、あらゆる権力を使って画像の無関係な男を犯人に仕立て上げた。真犯人が現れれば警察もパイセンを釈放せざるを得ない。
安倍総理がお友達のレ○イプ犯の犯罪をもみ消したのと同じ。当然ジャーナリストが安倍晋三に忠誠を誓うように、パイセンは父親に愛を感じるものの何故かパイセンは一度も父親に会ったことがなかった。
結論からネタバレしてしまうなら、パイセンの父親・輪島は裏社会のボス。パイセンは13番目あたりの亡き愛人の子供。輪島はその愛人を心底愛したから、その愛人が愛したパイセンにお金を送り続けてただけ。
逆に言えば、父親である輪島はパイセンに対して一切愛情を持っていなかった。何故ならブスだから。パイセンの本名・秀郎も「ひでえやろう」から来てる。おそらく愛人は一切知らなかったと推察されます。
だからパイセンを警察から釈放させたのも、自分の血のつながりがある人間が凶悪犯罪を犯したとなれば、自分の名声や今後の権力にヒビが入る。あくまで自分の地位を守るための「真犯人でっち上げ」に過ぎなかった。
僕たちはやりませんでした
最初は釈放されたことを喜んでいたパイセンだったんですが、そこで父親・輪島に対する復讐も含めて自首を誓う。これに良心の呵責にさいなまれていた主人公・トビオや伊佐美たちも同調。そして渋谷のスクランブル交差点に向かい、大量のお金と自分たちが犯人であるという紙をばらまく。

(僕たちがやりました8巻)
最終的に代々木公園野外音楽堂で盛大に自首を告白。これは動画配信サイトも使った大規模なもの。まさに『僕たちがやりました』に相応しい完結シーン…かと思いきや、NO。前述の輪島の部下たちがずっと監視してた。結果パイセンが輪島の一味に拉致されて、さすがに消されそうになる。
ただ何やかんやがあって、パイセンが輪島の息子・玲夢をあやめる。「俺のどこがゴミやねん?金持ってる奴が偉いんかぁ?同じ人間ちゃうんか?俺らはただ楽しく生きたかっただけじゃああ!!」とのこと。
ここまでやればさすがに全てが明るみになる…はずだった。でも輪島が全資産のほとんどを使って、事件を矮小化することに成功。パイセンとの血縁関係も抹消し、トビオや伊佐美たちも善意の被害者として扱われ罪に問われることはなかった。あくまで「僕たちは手伝わされた」だけ。
つまり「僕たちがやりました」ならぬ「僕たちはやりませんでした」というオチ。トビオたちが懸命に起こそうとした革命は小さな波紋が起きただけですぐ消えた。安倍総理ならきっと「全ての犯罪はなかった」ことにできたに違いない。
「僕たちがやりました」の最終回・最終話の意味
そして物語は10年後。トビオたちは普通に社会人となり、何事もない平穏な日常を送っていた。トビオはアイドルのマネージャーとして働き、伊佐美は建設現場で働く子煩悩パパ。

(僕たちがやりました9巻)
マルは相変わらずクズ。ミトコンドリア水なるマルチ商法まがいのことでボロ儲け。しかも軍資金がパイセンが残した2000万円をしれっと盗み取ってた。

(僕たちがやりました9巻)
この3人が再びパイセンと同窓会するものの、さすがに痩せすぎ。ホリエモンを彷彿とさせます。これだけ風貌が変わったにも関わらず、パイセンとしっかり認識できる作者・荒木光の画力が地味に高いか。

(僕たちがやりました9巻)
一方、トビオの彼女だった蓮子は別の男(パパイヤ鈴木風)と結婚して、既に妊娠中。ただ久しぶりに再会した蓮子は「良かった生きてて。頑張ったね」と優しく微笑みかけてくれるなど、何も変わってない。
トビオはトビオで夏という奥さんがいて、やはりコチラもご懐妊中。まさに幸せ真っ只中。ただそれでも良心の呵責が10年経っても消えることはない。「自分は生きてる資格がない。幸せになってはいけない」という思いが消えることがないから、蓮子も振った。
最終回のオチもパイセンに「生きてんねんからしゃーないやろ」という一言で励まされて、高校生の頃に望んだ「そこそこの人生に満足しよう」と思い込もうとしてても、赤ちゃんが生まれた直後に矢波高校の被害者と遭遇してしまい一気にフラッシュバック。

(僕たちがやりました9巻)
既に死んだはずの市橋の亡霊が突然見えてしまう。果たしてトビオはこれから本当に「そこそこ幸せな人生」を歩むことはできるのか…とややもすると曖昧なまま『僕たちがやりました』のストーリーが完結します。つまりトビオが罰せられることは最後の最後までありませんでした。
罰を受けて罪人は初めて許される
だから「オチがよく分からない」という意見もありますが、最終的にトビオに明確な天罰が下らなくてよかった。何故なら、「逮捕されない=許されてる」ということではないから。トビオは罰を受けなかったからこそ10年以上もずっと苦しみ続けてる。
要するに、作者は罪を犯した人間が罰を受けないとこう苦しむという戒めをオチで伝えたかったのかなぁと思います。パイセンも比較的短期間ではあったものの刑に服したからこそ、過去と決別して前に進むことができた。いわば禊(みそぎ)。
トビオは常に現実から逃げ続けては来たけれども、要所要所で良心の呵責から罰を受けようとしてた。屋上から飛び降りてみたり、蓮子を振ってみたり、勇気を振り絞って警察に自首までし、最終的には通り魔の少年に自らの命を差し出そうとしたりもした。伊佐美も言ってますが、出所したパイセンに会ったのも「あくまで許されたい」という利己的な理由にすぎなかった。
でも結果的にトビオに罰が下ることはなく、最後の最後までトビオは法的にも「許される機会」が与えられなかった。10年ぶりに会った蓮子も最後までトビオを責めることはなく、パイセンが出所したことで矢波高事件でトビオが罰を受けることは今後二度とあり得ない。
だから最終回に関する個人的な感想としては、トビオの未来は「絶望」しか暗示してない気がします。法的な罪に限定したことではないかも知れませんが、もし悪いことをした人間は当人のためにも罰を与えてあげるべき。罰が下ることで初めて罪が許される以上、恐怖でも逮捕されることが「そこそこ幸せな人生」を歩むためには必要というメッセージ。
もしかすると更生が主眼に置かれてる少年法に対する皮肉も込められていそう。最近でこそほぼ大人と同様に裁かれるようになったものの、どういうカタチであれ罰せられるという禊を経験しないと自分自身の良心の呵責とも向き合えないのではないかと作者は伝えたかったのかも知れない。
とはいえ、大人でも罰から逃れまくってるクズが多い。是非ヤクザや右翼とつるんでも知らん顔でのうのうと生きてる安倍昭恵や、安倍晋三に罪をもみ消してもらった凶悪ジャーナリストの山口敬之あたりは『僕たちがやりました』を熟読してみてはいかがでしょうか?
やや長文記事になりすぎましたが、『僕たちがやりました』が面白いかのおすすめ考察記事もアップロード済みなので、お暇な時にでもどうぞ。以上、『僕たちがやりました』の最終回(最終話)に関する完結記事でした。